CASTLE OF LEARNING ~慶應義塾大学 通信教育課程~

記憶力が退化する年齢にもかかわらず、学びの城、慶應義塾大学通信教育課程に学士入学しました。理系出身の私が文系学部で学ぶことになり、よくわからないことばかり。それでも卒業目指して頑張ります。それまでの過程やその後の姿を綴っていきたいと思います。

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外資系企業と日本企業

Posted: 2014-10-24  19:45
カテゴリー: 異文化いろいろ
最初にお断りしておきますが、これは経済アナリストが書くような記事でも国際的な視点からジャーナリストが書くような記事でもありません。また、客観性を忘れずに書きたいとは思いますが、極めて主観的なものになるかもしれません。予めご了承ください。

わたしは社会人になってから病に倒れるまで、外資系企業数社に長く勤務して参りました。しかし、学生時代のアルバイトや派遣で日本企業に勤務した経験もございます。主観的と思われるかもしれませんが、少なからず両方の世界を見てきたと自負しています。

わたしは、外国人の方々から 「日本人のようで日本人的でない」 と評されることがよくあります。確かに、外資系企業で働いていて日本もこういうことをもっと推進すべきだと判断すれば、自らそれを吸収するよう努力してきました。それに、外資系企業で多国籍の社員と共に働いていれば日本人としてのアイデンティティと向き合うことは必至です。外国の良いところを吸収しながら、日本の良い部分も持ち続ける、その折り合いをつけた結果が今のわたしなのだと分析しています。

「良い部分」を判断するのは他でもない自分自身ですから、それは主観的なものなのでしょう。それでも、自分では様々な角度から分析した結果そういう判断作業をしてきたつもりです。

わたしは日本企業とは相性が悪いです。勤務したことがある日本企業とは少なくとも合いませんでした。自由を愛する わたしのような人間は一般的に日本企業にはなかなか馴染めません。勤務していた日本企業でよくわたしを困らせたのが、「視野の狭さ」 、 「多角的な視点を持とうとしないこと」 や 「多様性を受け入れないこと」 でした。日本は島国で陸続きの国はありません。それにほぼ単一民族から構成される国です。だからこそ、視野を広げ、多角的な視点を持つこと、多様性を受け入れることが重要 だとわたしは考えているのですが、そういう考え方をする人は少数派でした。

画一的な教育を受け、皆と同じことが良しとされるよう育てられるのですから、仕方のないことなのかもしれません。しかし、少子化が進み労働人口が進むこれから、否が応にも外国人を受け入れていくことは今後の日本にとって避けられないと思うのです。その時に、外国人を受け入れることで問題ばかりが噴出するようなら、日本はもう立ち行かなくなるでしょう。亡国の危機 です。

なんだか話が大きくなり過ぎているので、身近なところに話を戻しましょう。

日本でも海外へ旅行する人の数はかなり増えました。でも、それは大抵ただのエンターテインメント。あくまでもレジャーのレベルに過ぎません。異文化に触れ、何かを学んで帰ってくる人は決して多くはない ように思えます。

たった数日の海外旅行でも、わたしは、何かを学び、今まで自分の中になかった何かを得て帰って来たいです。知らない文化に触れ、世の中には多様な文化があり、様々な価値観があること、そしてそれをお互いに尊重することは、重要というより、マナーの一つであること を。そして、そのマナーを守ることができないから戦いというものが生じるということ を。


Posted by Meisterstück

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コメント

日系3世はあるのでしょうか
こんばんは。

私の息子はアメリカいます。私の宗派の北米教団、BCA(Buddhist Churches of America)といいSacramento(CA)で一つのお寺を任されています。
私もだいたい毎年行くのですが、日系2世はともかく、3世は実はもう一つの血統からいうとアメリカ人、香港系や韓国系、ヒスパニック系など様々です。私たちは日系3世と言いますが、母方からいうと中国2世や3世になるわけです。

ここでは多様な考え方が溶け合って、日本人より「日本的」な社会であるかの考え方が成立しています。私は息子に日本へ米国仏教をフィードバックできるように努力したらどうあろうと言い続けています。

論旨を元に戻せば、日本国内で生活している我々は、米・英・欧・南米・中東・アフリカと同時に、同じ世界に生息しているという考えを持つことは、ごく少ないのです。
イスラム教と聞くと危険思想ぐらいに判断し、経済的後進国の呪術的宗教を聞けば恐ろしいと切り捨ててしまいます。

でも、これでいいのでしょうか。
国家、民族、人々が理解しあうには、その場所の歴史と文化と貧富の現状を、そして言語が持つ普遍性と特異性をも考慮しながら交流しなければならないと考えます。

素晴らしいブログに出会いました。が、コメント入力欄が狭いので、書きづらくなりました。
やがて自分も考えをアップしてみたいと思わせてもらうブログ、ありがとうございました。
No title
おはようございます。

私は10年程前に小学生を相手に英語を教えていました。
お遊び満載の授業でしたが、そこで私が子供たちに常に言ってきたことは「世界中にはいろいろな人たちがいる。肌の色も言葉も信じている宗教も違う。でもそれは当たり前のこと。違っていることが当たり前なんだよ。」
英検対策よりも世界地図をいつも子供たちと一緒に眺めることを重視していたので、保護者の方たちからは
不満が出ていたかもしれません。
でも、とにかく自分の価値観を他人に押し付ける大人にはなって欲しくなかったのです。

彼らも今は大学生。
どういうふうに世界の現状を見ているのか、聞いてみたいです。


ゆでガエル
カエルを入れた鍋を火にかけると
その熱さを感じることなく 苦しむことなく
そのまま普通に 死んでゆきます。
日本の企業ってのがまさにそうで
どんなに今の居場所が激しく煮立っていても
わからないんです。

広い視野 ダイバーシティ … その必要に気付いている企業は
思ってるよりまだまだ少ないです。

もはや企業風土は 社会から隔離された文化なので
ほかの企業の誰かが ゆであがろうが 焼かれようがは
自身が気付けるかどうか の個人の責任の範疇。
それが万が一企業の体質を問われたとしても
社員はどのみち 自身の人生で責任を背負います。

目の前のヒトのイケてなさは それが企業風土のせいだと一括りにせず
あくまでパーソナリティの集合体。
要は 個人が気付いたもん勝ち 動いたもん勝ち。
そういった人々がどれだけ出てくるか というのが今の時代の趨勢だと思います。
Meisterstuckからメッセージです!!!
コメントをいただきました皆様へ

コメント本当にありがとうございます♪
貴重なご意見をお寄せくださいまして誠にありがとうございます!!
今日はGG (=ぎっくり腰) のため長い文章が書けません。
どうしても各コメント毎にお返事したいので、もう少々お待ちください。

以前書いた、情報の少ない自己紹介の記事でもアップしておきますので、ご興味がございましたらどうぞ。

では、また。


M
No title
Mさん、初めまして。りゅう母と申します。

「日本人としてのアイデンティティ」。
私たち一家はアメリカに住んでいたことがありますが、この言葉は○十年も前から私の心に憑りついております。家の子供の友人たちの多くは、高校を卒業して日本に帰ってから帰国子女枠で進学し、商社や外資系企業などに語学を活かして就職しています。それはそれで結構なのですが、「自分はアメリカ人にもなれなかったけど日本人にもなれない」と悩んでいる子が少なからずおります。
言語だけでなく、両方の文化を吸収した上で、日本人としての自分のアイデンティティを確立すること、本当の意味でのバイリンガル、バイカルチュアルとなるのはとても難しいことなのですね。

ヨーロッパのように地続きで他国へ移動できる環境やアメリカのように多くの移民が集まる国は、たしかに多様性を受け入れてくれる懐の深さがありますが、日本という国は異質なものをなかなかすんなりと受け入れてはくれないようです。

色々なことを思い出し、また考えさせてくれるブログでした。ありがとうございます。
Re: 日系3世はあるのでしょうか
フーテンのドラ様

コメントありがとうございます♪

ご子息様も同業なのですか...それもアメリカで。ドラさんの優秀な遺伝子を受け継いでおられるのですね。羨ましい!

日系X世という言い方は一体何世代まで言うのでしょうね?わたしの友人にもハワイに日系3世の女性がいますが、彼女も母語は英語で、日本語は全くダメと本人が言ってました。彼女のお母様はずっと話していないそうですが、日本語を話します。子供時代を沖縄で過ごしたそうで、「使っていないと、やはり忘れるものですね。私の日本語は正しいですか?」と話している最中によく質問されました。

日本では宗教との関わり方が諸外国とは全く異なります。その分野でご活躍のドラさんがお考えになることはかなり複雑なものになるのでしょうね。

私など、出身校(高校)はカトリック系のミッションスクール。毎朝シューベルトの「アヴェ・マリア」で朝礼が始まり時間割には聖書を読むための時間もありましたが、入信はせず。実父が亡くなれば仏教(曹洞宗)で告別式。お正月には神社に初詣。英語を勉強するようになってからは、イスラム教を知らずしてコメントするなど出来ないと考え、コーランの解説書のようなものも読むという訳のわからない状況。でも、様々な宗教を知りもせずにコメントすることはフェアではないというのが私の考えです。

しかし、ほとんどの日本人は聖書やコーランに触れる機会もないと思います。神道と仏教が生活の中に混在し、結婚式はキリスト教であげるということに疑問を持つ方々も少数派。むしろそれが日本では堂々とまかり通っています。こんな日本人の宗教観が諸外国で受け入れられるとは到底思えません。

英語に興味を持ち勉強をする日本人は非常に多いのですが、外国語を勉強するということは文化を学ぶことであるということに気づく日本人は、悲しいことに決して多くはありません。勿論、英語は特殊な言語です。世界の公用語ですから。だからこそ、日本国内で生活していても、英語を介して、

> 米・英・欧・南米・中東・アフリカと同時に、同じ世界に生息しているという考えを持つ

ことを意識して欲しいというのが私の切なる願いです。

しかし、日本では、ドラさんがおっしゃるように、

> イスラム教と聞くと危険思想ぐらいに判断し、経済的後進国の呪術的宗教を聞けば恐ろしいと切り捨ててしまいます。

私が尊敬する母も、自身はイスラム教についてほとんど何の知識も持たないのに、危険思想に直結させてしまいます。

しかし、私もこれでいいとは思っていません。多様性を普段の生活でも受け入れない人々があまりに多過ぎて、その弊害に目をつむることができなくて、記事にしたのです。

ドラさんがおっしゃるように、

> 国家、民族、人々が理解しあうには、その場所の歴史と文化と貧富の現状を、そして言語が持つ普遍性と特異性をも考慮しながら交流しなければならない

と私も考えています。そして、それが草の根レベル、つまり普段の生活の中にも活かされてくれば、様々な背景をもつ人々が、相手を自然に受け入れ、異なる意見に頭から反論するのではなく、異なる視点に興味を持ち、自然に耳を傾けることができるようになるのではないかと思います。

このようなことを論じ合うには、コメント入力欄はあまりにも狭く適当な場所ではないのかもしれません。しかし、このような問題に関心を持ちコメントを寄せてくださる学友に囲まれていることを私は幸せに感じます。

いつかドラさんの考えをアップしてくださるとのこと、拝読できる日を楽しみにしております。

M
Re: No title
えみんば様

コメントありがとうございます♪

外国語を教えるということは、その外国語が話されている国の文化の一部を教えることだと私は理解しています。相手が小学生でも大人でもそれは変わりません。むしろ固定観念にとらわれず、自由な発想を受け入れられる多感な小学生の時の方が、文化の多様性を受け入れやすいのではないかと感じました。

> 「世界中にはいろいろな人たちがいる。肌の色も言葉も信じている宗教も違う。でもそれは当たり前のこと。違っていることが当たり前なんだよ。」

外国の言語だけでなく、多様性を受け入れることを教えることができる日本人の先生は決して多くはありません。えみんばさんは他の先生が教えることの出来ない、大切なことを教えておられたのだろうと思います。目を閉じればえみんばさんのそんな授業が思い浮かびます。

たとえ保護者の方から不満が出ても、それを貫くというお考えもご立派です。誰でもできることではありません。英検対策よりもずっと大切なことを教えておられたのですね。

> でも、とにかく自分の価値観を他人に押し付ける大人にはなって欲しくなかったのです。

同感です。私は自分の価値観を押し付けることも、押し付けられることも大嫌いです。そういう強い思いを持ちながら育ちました。私たちの年代になっても自分の基準でしか物事を見ることができない人は少なくありません。そういう方に出会う度に落胆してしまうのですが、落胆する頻度も非常に多いのが実情です。

> 彼らも今は大学生。
> どういうふうに世界の現状を見ているのか、聞いてみたいです。

そうですね。聞いてみたいですね。小さい頃に先生から言われたことは、結構覚えておりますし、「どうして先生はあの時あんなことを言ったんだろう?」と考えてしまう質の私も、えみんばさんのような先生に英語を習ってみたかったです。

このような記事にコメントをいただきましたこと心より感謝いたします。

M
Re: ゆでガエル
いっさ様

コメントありがとうございます♪

私は「ゆでるとそのまま苦しむことなく死ぬカエル」の話、全く知りませんでした。夫に聞いたら、夫から「知らないの?」と質問され自分の無知を恥じておりました。しかし、殺生はいけません。 笑

日本企業=ゆでガエル

良い喩えですね。今岐路に立たされている日本の企業は多いのですが、当事者がわかってないということ、本当によくある話ですからね。

海外に支社や工場を持ち一流企業と呼ばれる日本企業でさえ、ダイバーシティーの重要性を社員教育に含めている会社はまだまだ少ないです。一方で、米欧系の外資系企業では新入社員(外資では大抵中途採用ですが)への研修で「ダイバーシティー」に関するセミナーを行います。日本ではそういうセミナーを行う必要があると判断してということもあるのでしょう。

私がこのような記事を書いたのは、会社の経営陣がダイバーシティーの重要性に気づくことと、個人や社員レベルでそういう意識を持つこととは、同じぐらい重要だと考えたからです。

企業に属していると、大きな何かに守られていると勘違いし、裏付けのない安心感を抱いている人間は多いです。でも、その企業を退職したら、一人ぼっち。今度は誰も守ってはくれません。そして、「結局、自分を守るのは自分しかいない。」と気づく。実際に自分がそういう経験をしなければこういう考えに至ることはそんなに難しいことではないはず。それでも、気づかない。いや、気づこうとしない。楽観的すぎると思えてなりません。

論旨が蛇行していますが、私が言いたかったのは、ここからです。

世の中には色々な人がいて、地球には様々な文化を持つ人種が存在しています。相手の文化や価値観は常に尊重すべきであり、今の時代では、それがダイバーシティーとして一つのマナーとなっています。企業がそれを重視しなくても、個人レベルで実行することが今大切なのではないかと私は考えます。皆さんはどう思いますか?

企業は個人の集合体。確かにそうです。個人と個人が共に働く場。だからこそ、個人同士が気持よく働けるよう環境を整える。会社にはその責任があるとまでは考えておりませんが、個人個人で考える必要はあるという時代なのではないでしょうか。

コメントの返事になっているかどうか少々疑問が残りますが、これもあくまでも私の価値観であって、いっささんに押し付けようとするものではありません。念のため。

M
Re: No title
りゅう母様

初めまして。
貴重なコメントありがとうございます♪

> 「自分はアメリカ人にもなれなかったけど日本人にもなれない」と悩んでいる子が少なからずおります。

これは、バイリンガルの環境で育った人の大いなる悩みですよね。私のまわりにもそういう友人が何人もいます。そして、そういう話を聞いた時の私の応えは時に非常に冷たく感じられるかもしれません。
「そこからは自分で考えるしかないよねぇ。」
と応えるからです。

バイリンガル環境と一言で言っても、実状は様々。両親とも日本人で外国で育った、両親が外国人と日本人、さらに母親が日本人か父親が日本人かでまた違う、外国のどこで育ったのか、どういう教育を受けたのか... など、細かいことを言い出したらきりがありません。全く同じ環境で育ったとしても、本人の性格等のファクターも大きく影響してきます。

各個人が自己のアイデンティティと向き合うことは、他人に強要されることではありません。自分が向き合おうと思って初めて向き合うものです。ですから、じっくり向き合って欲しいと思います。若い時でも私たちの世代であっても、自分はどうありたいのか、どういう人間でいたいのか、常に自身に問いかけ、じっくり考えてみることはとても大切なことですから。自己に向き合うことは、時に、辛いことでもあり、悩み、苦しむこともあります。でも、だからこそ意味があるのではないかとも思います。大いに悩み、結論に至る頃には、そこに到達した人しか得られない何かを得ることができると私は信じています。

> ヨーロッパのように地続きで他国へ移動できる環境やアメリカのように多くの移民が集まる国は、たしかに多様性を受け入れてくれる懐の深さがありますが、日本という国は異質なものをなかなかすんなりと受け入れてはくれないようです。

そうなんですよね。悲しいことに日本はそういう国です。個人的には、時代も変化しているのだから、少しずつでも変わって欲しいというのが切なる願いです。日本ではバイリンガルだからと、利点ばかりに焦点を当てますが、バイリンガルだからこそ抱える問題が実在するのですから、そういうことももっと認識して欲しいものです。

> 言語だけでなく、両方の文化を吸収した上で、日本人としての自分のアイデンティティを確立すること、本当の意味でのバイリンガル、バイカルチュアルとなるのはとても難しいことなのですね。

同感です。個人によって「アイデンティティの確立」の意味することも異なると思いますので、若者には考えることをやめないで欲しいですね。「考える葦」として。

M

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